2016年6月9日木曜日

酒列磯前神社(ひたちなか市)

茨城県ひたちなか市磯崎に鎮座する酒列磯前神社神社(さかつらいそざきじんじゃ)のご紹介です

此方は前回紹介した大洗磯前神社と関係の深い神社で、創建は大洗と同じく斉衡三年(856)です。御祭神は少彦名命で、配祀神が大名持命になります。これは大洗に大己貴命を祀り、酒列に少彦名命を分祭したものと考えられています。延喜式神名帳に記載される式内社で名神大社に列し、「酒列磯前薬師菩薩神社」の社名を賜り、明治十八年に国幣中社に列格、太平洋戦争後には別表神社に定められます。

由緒として、建久二年(1191)、源頼朝が筑波山参詣の折、家臣を遣わすと神異があり、頼朝は神馬三十匹と那珂東部、久慈西郡を献じます。元弘元年(1331)常陸守護佐竹貞義が社殿を修営、弘治年中(1555-58)と天正八年(1580)にも水戸城主の江戸氏による社殿造営がなされています。

このように時の権力者の庇護を受けてきた当社ですが、古今類聚常陸国誌によると江戸時代にはすでに社殿は無く、寛文三年(1663)、村人が古塚を発見し、石棺の中に器物や甲冑、剣などが入っていることから磯前明神の墟とされたとのことです。しかし、元和二年(1616)に社殿修営、寛永十八年(1641)九月にも数村の氏子の寄進で修営が行われたとの記録もあり、旧社殿の一部は現在の社殿に使用されているのを考えると、戦乱等で荒廃しても、決して社殿の消失や神社が廃絶していたわけではないと考えられます。

その後、元禄年中に水戸藩主徳川光圀公が参詣し、名社の荒廃に嘆き、同十五年に時代藩主綱條が先君の意思を次ぎ旧社地から現社地へ社殿を遷し、同年八月二十九日に遷宮式が行われます。

社殿は当時の建築で、昭和八年から二十三年にかけて大修理が行われました。

社名の「酒列」ですが、天平十八年(746)の平城京出土木簡に「常陸國那賀郡酒烈埼所生若海藻」と書かれており、古代からの地名であった事がわかります。この「酒列」の由来はいくつかあるようで、確認できたものだけ記載しておきます

御祭神である少彦名命が医薬の祖神であり、醸造、酒の神でもある事から「酒列」と名前が付いたと言われる

神社鎮座地の平磯・磯崎の海岸岩礁は、全て南向きの傾斜で連なっているが、一箇所だけ北を向いて逆らっている磯があり、「畜生石」または「逆列磯(さかつらいそ)」と呼ばれる。「新編常陸国誌」には『此辺ノ磯石ハ皆南ニ向テ斜ニ起伏セルニ一所コレニ反テ北向スルモノアリ、世俗之ヲ畜生浦ト云フ、是即逆列磯ナリ』と書かれており、「サカツラ」は此処より起こったと言われる

他にもあるようですが、ちょっと見つけられませんでした

また、大洗磯前神社では御祭神の大己貴命が大黒様と同一視されて信仰されていたように、当社の御祭神である少彦名命も恵比寿様と習合しています。

何となく恵比寿様と言うと、大国主命の御子の事代主神や、イザナギイザナミの御子である蛭子命との習合しているイメージが強いですが、こういった形もあるんですね。

さて神社です。
酒列磯前神社は岬の台地上にあり、南に行けば大洗磯前神社や大洗アクアワールドへ抜け、北へ向かうとすぐそばに海水浴場で有名な阿字ヶ浦海岸や、毎年ROCK IN JAPANの行われる国営ひたち海浜公園があります。

海岸沿いの道を走っていると、神社周辺には看板が立ってますので迷わず行けるかと思います

神社入り口です

小松宮彰仁親王敬書の神額です

社号標です

鳥居横の此処には以前、文政十一年(1828)に建立された大燈籠がありましたが、震災の為でしょうか、今はその土台だけが残されています(:_;)

写真は平成十九年撮影時の神社入り口です。鳥居向かって左手にあるのが在りし日の大燈籠になります

また、天保十三年(1842)の村絵図によると、この大燈籠前に「松の大木」があった事が記されています。明治の頃にはこの大木を囲んで盆踊りが行われる程のものだったようです

鳥居をくぐった参道は鬱蒼とした木々に包まれています。この木々は、海洋による温暖な気候により生育が促された暖帯性樹叢の一つと位置付けられ、「酒列磯前神社の樹叢」として県指定の天然記念物となっています

この参道両側には樹齢300年以上のオオバイボタ、スダジイ、ヒサカキなどの常緑広葉樹が生育しているそうです

参道は300mあります

以前は灯籠が等間隔に並び、参道に趣きを与えていましたが、現在は灯籠の土台だけが在りし日を忍ばせます(/ _ ; )

此方がその在りし日の参道の一コマです

数少ない残った灯籠

何故か火袋の中に犬の置物がおりました( ̄▽ ̄)

参道途中には、北側からの参道と合流します。鬱蒼と茂った木々に包まれた参道からは、青い空と海が別の世界の様な光景に映ります

此方が北側の参道入り口です。細いのに交通量の激しい道路に面しているので、結構怖いです(^_^;)

社号標です

二の鳥居と狛犬です

狛犬は何だかユーモラスというより、南国系の顔立ちな気がします

此方は境内社です。写真左側より稲荷社、天満宮、事比羅神社、冨士神社、水神社になります

此方は水戸藩九代藩主徳川斉昭公が「やんさまち」をご覧になった際のお腰掛けの石(茇憩石)になります

「やんさまち」とは寛文七年(1667)より昭和4年まで約300年に渡り続いた神事です。

那珂市瓜連鎮座の常陸國二宮静神社、ひたちなか市の酒列磯前神社、東海村の村松大神宮の三地点を結ぶ旧那珂地方48ケ村を巻き込んだ壮大な祭には、二つの神事がありました。

一つは瓜連の静神社からひたちなか市の酒列磯前神社への7里の道のりを神輿が御渡りする神事「浜降り」、そして村松大神宮に集結した村々の名馬六頭が「浜降り」のクライマックスに合わせて酒列磯前神社へ2里8町を競争し豊年満作を祈った神事、「やんさまち」です

「やんさまち」は元を辿ると万葉の時代から続くもので、万葉集の中にある『左奈都良(さなつら)の 岡に粟蒔き 愛しきが 駒は食ぐとも 吾はそとも追じ』の「さなつら」が「さかつら」の事であり、やんさまちの訓練をしている事を詠んだ歌であるとか

茇憩石は元々網入台と言う見晴らしに良い場所にあり、水戸藩主は代々そこからやんさまちを見物したそうで、それを当地に移したとのことです

現在は常陸那珂港など周辺も大きく開発され、昔のような形での再開は難しいのでしょうが、絶えて久しい壮大なお祭りを見てみたいものです( ´ ▽ ` )ノ

お腰かけの石の前には宝クジが当たると噂の海亀の像です。以前に来た時にはありませんでしたが、何時の間にか当社は宝くじが当たるという神社として新聞にのったりしてるんですΣ(・□・;)僕も最近まで全然知りませんでした(^_^;)

当然撫でてきましたよ、俗物ですので(´Д` )

此方は参道を挟み反対側の神馬舎とかわらけ祈願所、航海や漁の安全の為に奉納された「御碇」です

境内です。とても広く、整然としています

その広い境内は、全体が垣で覆われています

神紋は菊花紋と菱菊です

拝殿です

此方は平成十九年参拝時の写真です。神社幕の菊花紋の色が違うだけで随分印象が変わります

拝殿正面上部、本懸魚の栗鼠と葡萄の彫刻は左甚五郎作だそうです

向拝柱の龍の彫刻も立派です

扁額です。書は総理大臣を三度務めた明治の政治家桂太郎のようです。よく大きな神社などでこのようなビッグネームに出会いますが、何か関係というか、所縁があるんでしょうか?茨城と桂太郎…何か結びつかないんですよね

本殿です



創建は前述の通り元禄十五年になります
本殿前には立派な狛犬が鎮座してます
彫刻も見事に施され、蟇股の麒麟も躍動感があります
本殿向かって左手の摂社、酒列鎮霊社です
本殿裏手の灯籠です。一つは苔むして良い感じです
こちらは神輿殿と修復の終わった大神輿です
社殿向かって右側には神社後方へと道が続ています。裏参道になるのでしょうか?
裏参道から見た社殿
国民宿舎の脇を抜けると、殆ど獣道状態Σ(゚д゚lll)誰も使ってないのかな?
鳥居があり海岸沿いの道に出られます
目の前は海、古来より神磯と呼ばれた場所です
裏参道の鳥居から少し南下した所に、地名の由来にもなった酒列石があります
この周辺の岩場だけが他のものと違い北を向いています。この辺りから岬状に出っ張っていて海流が違うんでしょうかね
酒列石よりちょっと北側の岩場に行くと、傾斜した岩の中、一つだけ平らな石が見えます(写真の右側に写った石です)
護摩壇石、或は清浄石と呼ばれ、この地方全ての神仏はここに漂着したと言われ、やんさまちでも、浜降りの神輿がこの石に安置され、祝詞が挙げられたそうです(小さい写真しかなくて申し訳ないですが(^_^;)
で、この辺りの岩場は中生代白亜紀層として、7500万年前の地層が海岸になっているのですΣ(・□・;)
最後になってしまいましたが、こちらは一の鳥居から少し北西に位置する酒列磯前神社の旧社地になります。以前の神社からは、今の阿字ヶ浦海岸がよく見えたのでしょう
旧社地に隣接するように比観亭跡と言う日除けのあずまやのあった場所があり、とても見晴らしが良いです
御朱印は社務所で頂けます
此方は以前に書ける神職の方がいないのでと頂いた御朱印です

何だかあっちこっちに話が飛んだり、欲張って色々紹介したりしてしまいましたが、当社とその周辺は見所も数多い場所です。是非、時間を忘れてゆっくり散策してもらいたいなぁ、などと思います