2013年2月24日日曜日

京都弾丸ツアー

今回は平成二十五年二月十七日に京都へぶらりと行ったので、ダイジェスト的にご紹介します

ぶらりと、まさに思い立ったが吉日的に、『そうだ、京都へ行こう』と、思い立ったのが二月十六日の昼過ぎ取り敢えず行ける所まで行ってみようと、午後三時に自宅を出発!!

実は自家用車では関東プラス福島までしか行った事がなく、どこまで行けるだろうというワクワク感と、如何にかなるだろうという投げっ放しジャーマンスープレックス的心持ちで、手荷物はカメラと一の宮用の御朱印帖だけ持っての出発でした

当初は高速道路ではなく、何となく土地の風景を見たいと言う思惑から、国道六号線をえっちらおっちら東京方面へ大体、出たのが夕方近くなので、暗くなったら風景もへったくれもないんですけどね(´Д` )結局土浦から柏までの断続的な渋滞に心が早速挫け、首都高の看板が見えた瞬間、速攻で計画を変更するヘタレっぷり

折しも首都高も渋滞という幸先の良い(?)スタートを切り、一路西へ!!

(実はこの時、まだ京都に行くか伊勢神宮に行くか迷ってたのは秘密デス( ;´Д`)だってどっちも西じゃない...)

首都高を過ぎ、東名、名神と快調に進んで行くマイカー!途中、富士山、浜名湖、琵琶湖など、名勝も数あれど、結局そのどれもが暗闇の中に呑まれ、見ること叶わず!まあ、当たり前ですけどしかも、京都まで残り100kmを切ったところで非常事態発生!!甲賀市に入ると、雪が降ってました\(^o^)/

初めは雪だ雪だとはしゃいでいたのも束の間、土山SAについた頃にはSA全体が雪景色!

タイヤ、どノーマルなんですけど、大丈夫ですかね?

この時点では既に京都へ行く気満々でしたが、途端にヘタれて、やっぱり伊勢神宮にしようかなぁ、などと考えていました が、雪景色の京都、イイじゃない、と覚悟を決め、雪の高速へ降雪自体は甲賀市近辺だけだった為、十七日午前三時、無事京都に到着しました

しかし京都も当日に雪が降っていたらしく、量こそ少なかったですが、上賀茂神社付近はアイスバーン状態Σ(・□・;)何度か軽いスリップを食らう羽目に

此方は上賀茂神社付近の鴨川の様子

その後、24hのサウナで仮眠兼入浴を済ませ、午前七時三十分、最初の目的地の『下鴨神社』へ

「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」、通称下鴨神社は、後述する上賀茂神社とともに山城國一の宮として、延喜式神名帳では名神大社、二十二社では上七社、旧社格は官幣大社の京都最古の神社です東西二つの本殿を持ち、二つとも国宝に指定されていますまた1994年には「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産にも登録されています

御祭神は、玉依姫命とその父親である賀茂建角身命です。玉依姫命は上賀茂神社ご祭神の賀茂別雷大神の母になります玉依姫命と賀茂別雷大神については、丹塗の矢の伝説として今に伝わります

玉依姫命は東本殿に、賀茂建角身命は西本殿にそれぞれ鎮座されています

神社すぐそばの鴨川です

「糾の森」です。きっと新緑の頃には緑が眩しいのでしょうね

楼門は淡い雪化粧に包まれています

神前結婚式の準備なのでしょう、境内には神職の方が朝早くから慌ただしく動き回っていました

此方の神社は八咫烏と関連したお社です。八咫烏がご祭神の賀茂建角身命の化身なのだそうです
境内にカラスがおりましたが、残念ながら八咫烏ではありませんでした( ´ ▽ ` )ノ

今は修理の真っ最中のようで、中門から拝殿にはビニールがかけられていました

この梅は「光琳の梅」と呼ばれています。これは尾形光琳の描いた国宝である『紅白梅図屏風』がこの辺りを描いた事から言われるそうです
まだ蕾ですが、こんな寒い京都にも確実に春が近付いている、そう感じさせてくれます
此方は第一摂社の「河合神社」です

美の神様として信仰され、絵馬もちょっと特殊な手鏡の形です

また、此方は「方丈記」を書いた鴨長明の「方丈」を復元したものです。長明は下鴨神社の禰宜の子どもとして生まれた、下鴨神社所縁の人物なのですね

御朱印は社務所で頂けます

また、此方はオリジナル御朱印帳もあります

渋目の御朱印帳ですね

ちょっと長くなりそうなので、その二に続きます

 

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