2012年9月6日木曜日

常陸國總社宮(石岡市)

茨城県石岡市総社にある常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)の御紹介です。

石岡市は奈良時代に常陸国の国府が置かれた場所であり、国司が政務を行った国衙があった場所です。

国司の仕事の第一は国内神社の祭祀で、延喜式職員令の国の守の項に「掌らむこと、祠社のこと」とあり、その職掌の第一に掲げられ、着任最初の仕事として赴任国内全ての神社を巡り参拝することがありました。しかしこれは大変な事であったらしく、平安時代には国衙の近くに諸神を勧請合祭して、為すべき行事をその社で行ったというのが総社の始まりなのだそうです。因みに総社の設置を中央政府が指示した文書は見当たらず、時代の流れの中、諸国で普及、設置されていったと考えられ、一般的には十一世紀末から十二世紀始めにかけて成立していったようです。

 

さて、こちらの總社宮ですが、社伝によると聖武天皇の治世の天平年間、勅命により天神地祇六柱を国内六府の地に勧請合祀して国家鎮護、皇室守護、民衆の幸福を祈願したとあり、六所明神を御祭神とする最も古い総社の一つとされています。ただ、前述の通り、一般的な総社の誕生が十一世紀末からとなっています。また、平安時代の日記文学である「更級日記」には、著者の父である常陸介(介は国司の構成の一つで、守の下の役職)の菅原孝標が「神拝といふわざして国の内ありきしに云々」とあり、国司代として孝標が常陸国内諸神社の参拝を行ったことが記されています。孝標の常陸介としての任期が長元五年(1032)から長元九年(1036)であり、その間にはまだ総社としての存在ではなく、六所神社として存在していたのかもしれませんね。

中世には一宮である鹿島神宮と共に鎌倉将軍家からの奉拝があり、戦国時代には江戸城を築城した太田道灌も参拝祈願し、和歌と軍配を奉納したそうです。

明治四年に郷社に列し、明治三十一年に県社に昇格しています。

 

御祭神は伊邪那岐命、邇邇芸命、須佐之男命、大国主命、大宮比賣命、布瑠大神の六柱です。

 

さてさて神社です。

こちらはかつての国府のあった場所であり、周辺には常陸国衙跡や国分寺などがあり、史跡に囲まれた歴史の町と言った風情が感じられます。

神社は細い路地を抜けた先にあり、ナビを見ながらの運転にも関わらず迷うと言う為体(´Д` )どうにかなりませんかね、この方向音痴のスキルヽ(;▽;)ノ

神社入口です。奉納された灯篭が綺麗に並んでいます。惜しむらくは、参拝する直前まで降った雨で、道がぬかるんでいたり、水たまりができてました

鳥居からの参道を南進すると、途中で直角に道が曲がり、参道が続きます

途中には相撲場があります。今でこそこちらの例祭は「石岡のおまつり」と呼ばれ、山車14台、獅子32台が練り歩き、関東三大祭りの一つに数えられたり、関東の奇祭として有名ですが、江戸時代には相撲大会のみが神事として執り行われていたそうです。

茅葺の随神門です。派手さはありませんが、雰囲気の良い佇まいです

境内です。綺麗に整備されています

境内の真ん中にあるのは井戸なんでしょうかね?結局なんなのか聞き忘れました(; ̄O ̄)

境内に入って右手には境内社が並びます。

香丸稲荷神社、星宮神社、厳島神社、愛宕神社、愛染神社、松尾神社です

神紋は「菊紋」です

拝殿です。拝殿の目の前は何気に崖になってたりします

この日は御祈祷をやっている中での参拝になり、しばし祝詞を聞きながら拝殿を眺めていました

拝殿前の狛犬です

拝殿横には十二末社があり、常陸国の主要な祭神(武甕槌命、須佐之男命、誉田別命、菅原道真公、

少彦名命、宇気母遅神、木花開耶姫命、大己貴命、高龗神、猿田彦命、大山祇命)が祀られています。

本殿です。寛永四年(1627)に建造された流造の社殿です

欄干の彫刻も落ち着いた渋みのあるご様子

因みに本殿の裏手横手ともにやはり崖で、ぬかるんだ足元は何気に危なかったりするので、雨上がりの参拝時には、足元注意で行った方が吉です

と、本殿には菊紋以外に「三つ葉葵」の紋も見えました。宮司さんに聞くと、「詳しいことはわからないが、江戸時代にこの地が天領地になっており、その折のものなのではないか」とのことでした

そしてこれは参拝後に知ったことですが、どうやら日本武尊の腰掛けた石があるそうです。全然気づかなかったorz「茨城縣神社誌」によると、そもそもここは、「日本武尊の御遺跡神石の側を卜定して創建した」のに、それを見てないとは…Σ(゚д゚lll)

こちらの御朱印は社務所で頂けます。

また此方にはオリジナルの御朱印帳と、全国の総社用の御朱印帳がありました。

石岡のお祭りの獅子がモチーフの綺麗な御朱印帳です

此方が総社用の御朱印帳。普通のものよりちょっと縦が長めです。

参拝時、時々小雨の降る肌寒いなか(参拝は3月でした)、家族連れの参拝者が多く訪れていたのが印象的でした。歴史の長短に関わらず、地域の方々にとってかけがえのない場所の一つなのだろうなと考えながら帰路につきました